今まで様々な益田ミリ先生の作品を手に取って楽しませていただきましたが、
「ツユクサナツコの一生」に関してだけは、相当覚悟をもって読み進めないといけないと思いました。(ツユクサの花言葉「儚さ」と記載されているくらいである)
個人的に感じたのが、通常通りの益田ミリ先生の作風でありながらも「この展開は驚いた・・人の一生というのはまさにこのことだ・・・しかしコロナ禍において益田先生は一体何があったのだろうか(故郷の大阪で執筆されたのかなと)」と作者の心を案じることになろうとは思わなかったです。
感想を皆様にどうお伝えしようか非常に悩むところはございますが、率直な感想を綴っていきたいと思います。
1つ言えるのはこの作品はコロナ禍の心情を描いた文学です。
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【益田ミリ】ツユクサナツコの一生(感想記事)一生という意味・コロナ禍の理不尽を考えさせられました
コロナ禍を生きるナツコの世界と漫画家・ツユクサナツコが描く「おはぎ屋春子(他にも猫の漫画などもある)」の世界が交互する作品でした。
コロナ禍のマスク生活の煩わしさ、マスク越しのコミュニケーション、マスクの下の表情が分からない(マスク美人詐欺という言葉もあったなぁ)
忘れかけていた理不尽なコロナ禍の格差などこの作品を読んでいてコロナ禍は戦禍とは異なるけれども、それに近い行き場のない状態で生き抜いたとしみじみと感じました。
ナツコが痛感するコロナ禍の格差
コロナ禍の格差は現実のナツコの世界、ナツコが執筆する漫画「おはぎ屋春子」の世界でも描かれていました。(春子の世界ではコロナがなかった)
お金持ちになれなかったのは「がんばりがたりなかった」のではなく、あみだくじのような運だと分かるところが非常にきつかったというか、わかっていた事実だけれども、「運」「親ガチャ」という事実から背中を向けていたのかもしれない
それをはっきりと描かれると現実と漫画でもリアルすぎる
社長になれるほど仕事を頑張ったから高級老人ホームへ入居できる、親ガチャが良かったから私立小学校へ進学できる、コロナが運悪く襲ったから奥さんが深夜の工場で働かないといけない・・運よくお金が沢山入ったバッグを見つけられたもの勝ちなのか、そうなのか自問自答するばかりである
少なくともナツコが大学へ進学できていたら、週6ドーナツ屋のバイトではなく、週3リモートワーク可能なデザイン会社で働きながら好きな絵を描きつつ、キャンプをしながら生きていけたのではないかと思ったりする・・やっと手につかんだチャンスですらなくすという儚さも読んでいて辛さしか残らなかった。。これも人生なのか(格差というものは容赦ない)
「アメンボ」でも格差というか「住む場所」が違う感がかなり強調されていたのを見ると、今まで気が付いていたけれども「わかりたくなかった格差」だったのかなと後に思いました
お金持ちになりたい、あの人はええなぁと思われる人生を送りたいけど、一体どうしたらいいんでしょうね?(とりあえずブログ書こう)
ナツコが感じるコロナ禍の理不尽さ
コロナ禍の理不尽さと書くと「普通に大学生活を送れなかった可哀そうな学生さん」「休業とかで仕事を失って可哀そうに」扱いをしてしまうのだろうか、でも彼らにとっては理不尽であっても「通常運転」なのだから同情することは彼らにとっては大変失礼なのかもしれないと痛感しました。
コロナになってテレワーク・週3勤務が導入された一方で、職場にアクリルボードの設置もできない・給料が激減という「格差」にも触れていました。
「有事」になっても大企業務めだけが守られるのではなく、中小零細企業務めは有事により路頭に迷うという事実もある。
格差は腹が立つほど耐え難く、贅沢かもしれないいや当たり前だけど有事の際でも幸せな生き方をしても罰は当たらないと強く感じました。
コロナというものは、普通を奪い、格差を生み、挙句に戦争まで始まった・・・
深くは考えていなかった「明日という未来」のことを考えることすら儚さを覚えた
お父さんが何よりも心配です
ナツコのお父さんが何よりも心配です。
コロナ禍はずっと親子二人であの家で守られたように過ごしていたので、お父さんが一人になってから、誰かのために早起きして食事を作るのか、昼寝をしている最中に帰ってきて起こしてくれる人もいない、他愛のない会話をする人もいない・・・
どうかどうかツユクサナツコが遺した一冊を心の支えにしてほしいと強く感じました
最後に
まさに、人一人の人生・コロナ禍(+戦争)・格差・・・5類になって忘れかけていた「あの頃の異常だった日常」を思い出しました
あの頃は普通じゃなく、昨日まで元気だと思っていた人がコロナに羅漢してあの世を去ったり、もしくはコロナに絶望して自らあの世行きという選択をしたり(あの頃は女性の〇殺が多かった。ちなみにナツコは絶望的な最期ではないのでそこはあしからず)
明日、起床し、誰かに「おはよう」と言えるのがどれだけ贅沢なことかとこの本を読んで感じました。
また有事であっても失業をしたとしても、どんな自分でも好きでい続けたいとこの本を通じて強く考えました。
長々とした感想になりましたが、ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございました。
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